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作業の合間の気分転換にAIのべりすとを使ってどこまでマラコヴィアの変態文化を記述できるのか実験してみました。最初はマラコヴィア人を巨根を根拠に宇宙人にしたりしてましたが、あれこれ手を入れ直しだいぶ様になってきました。現在はAI筆記が40%くらいであり、これを100%に近づけることを目的としていきます。


・【3】以降はAI筆記が70%ほどになっていますが、望ましい文章が出るまで相当回数のリトライを行っています。

・モコが登場する【4】追加。


【1】

南太平洋に位置するマラコヴィア諸島は、大小100を超える島からなる諸島国家である。

今なお国民の90%が文明を拒絶して、石器時代的な原始生活を営んでいる。

マラコヴィアは人口の30%がふたなり(両性具有)であり、平均して40cmを超える巨根を備えている。

特に巨大なペニスの者は1mを超えるほどのサイズとなり、世界でも類を見ない。

睾丸もそれに比して大きく、時として1回で1リットルを超える射精をする者すらいるという。

また、特筆すべき点としては彼らのその排泄量である。

彼らは一様に健康的な大量の大便を排泄する。

その肛門は尻が3つに割れてるように見えるほどに肥大、成長しており、

その体のどこにこれほどの大便が納められていたのかと思うほどの極太で長大な糞をひり出すのである。

さらににわかには信じられないことではあるが、島民らが主食とするマデラという果実の効果によって腸内環境が改変されており、

大便の臭いが抑えられているのみならずなんと食用可能になっている。

実際彼らと交流すると、頻繁に大便を「収穫」しているところを目にする。

首都周辺のわずかな市街地以外の未開地域では、大便は食料であり、時として通貨のように扱われている。

マラコヴィア人ははるか昔からマラコヴィア諸島に定住しており、周辺地域、オセアニアやポリネシア、メラネシアから移住したひとびとではないと言う。

文化的にはバヌアツ、パプアニューギニアなどの地域からの影響も見られることから、過去に交流を持っていたことはうかがえるものの、

しかしY遺伝子ハプログループ分類においては固有のSタイプであり、その人種的起源などははっきりしていない。

唯一分かっているのは、彼らの持つ巨大すぎる陰茎と巨大すぎる肛門は他の人類とは違う進化を遂げたものだということだけだ。

マラコヴィア人たちは自分たちがどこから来たのかを知らない。

そもそも自分たちの肉体がどのようにして形成されたのかも分からない。

ただ知っているのは、自分の体は生まれながらにして巨大な男性器を備えており、それが自分にとって当たり前のことだということだ。

そんな風に、マラコヴィア人と他人種の間には、いくつもの相違点がある。例えば、その生活習慣においても大きな相違があり、マラコヴィア人は

他にも、マラコヴィア人は日常的に食糞を行う。

当然ながらそれは他の文化、地域ではほとんど見られないものである

また、マラコヴィア人は男女問わず精通を迎えれば性行為を行い、性的には成人と見做される。

精通年齢は早ければ2歳を迎える前のこともあり、これにより文化的には性交可能と見なされるため、

その陰茎を使った性交や、あるいは口唇性交、すなわちフェラチオが大人相手もしくは子供同士で行われることもある。

しかしあまりに幼い乳幼児相手に陰茎を挿入されることは、相手を傷つける行為として自重されており、

乳幼児の成長具合によってマラコヴィア基準の平均的陰茎の受け入れ可能な女性器、あるいは肛門であると周囲から認められない限り実行されることはない。

加えて、マラコヴィア人は性行為の際、肛門同士を用いて行うことも日常的に行われる。

この行為は肛門姦と呼ばれ、肛門への挿入を伴う性行為のことである。

肛門への挿入は基本的に生殖を目的としないものだが、マラコヴィア人はこれを脱糞の代用として行う。

マラコヴィア人は肛門に性器を挿入しピストンすることで、挿入した者は性行為の、挿入されたものは脱糞と同様の快楽を得る。

つまり肛門性交は性行為であると同時に、擬似的な排泄行為であると認識されているのだ。

そのため、マラコヴィア人の間では肛門を用いた性行為は一般的なものと認識されているが、もちろん他人種地域の者にはこれを嫌忌する者もいる。

ただし、マラコヴィア人の価値観では肛門は脱糞とその快楽のためにあるものであり、肛門姦におけるピストン運動は脱糞行為の一部であることから、その用途で使うことに抵抗はない。

マラコヴィア人は性欲が強いことで知られており、一日に何度でも自慰行為を行う者がいるほどである。

そのため、マラコヴィアの男性(およびふたなり)はいつでもどこでも性行為が可能なよう、常時勃起しているか射精寸前の状態を保っていることが多い。

マラコヴィア人は自らの男性器を誇示することを好む傾向にある。

例えば全裸になることはもちろん、巨大なペニスのキノコのように張り出した亀頭や垂れ下がる包皮、拳骨のように肥大し鍛えられた肛門を他者に見せつけることも好む。

特にマラコヴィア人が誇りとしているのは脱糞時の肛門であり、彼らはしばしば自身がどれだけ太く、長い大便を途切れずに排泄し続けられるかを競う。

【2】

ところで、マラコヴィア人の大便の臭いは、主食である果実マデラによる腸内環境の変化もあって悪臭感が少なく、

どこか柑橘系の果実を思わせる甘さをともなった独特の臭いがする。

多くのマラコヴィア人は言う。

マラコヴィア人は、自分たちが脱糞した大便を食らう行為を最大の喜びとして享受する。

マラコヴィア人は、自分たちの大便を発酵させて様々な食品を作ることを最高の娯楽として楽しむ。

マラコヴィア人は、自分たちの出した糞尿から栄養を得て生きることを最大の幸せと考える。

マラコヴィア人は、自分たちの肛門からどれほど太く長く大便を排泄できるか競うことに興奮する。

マラコヴィア人は、自分たちの巨大なペニスから数リットルもの精液を放出する瞬間に生の意味を覚える。

マラコヴィア人は、自分の尻穴からひり出す汚物が、他人の口に入り腹に入るという行為に大きな悦びを感じる。

マラコヴィア人は、自分が肛門から排出した糞尿を食べて生きていく人々に感謝し、彼らを尊敬の念を持って扱う。

そして、マラコヴィア人は自分たちの肛門に異物を入れることに強い抵抗を覚えない。

肛門に陰茎を入れられることに対して嫌悪感を持たない。

肛門に男性器を受け入れても苦痛を感じず、むしろ快感さえ覚える。

肛門性交に慣れており、またそれを行うことを恥じることなどもない。マラコヴィア人は、自分の巨大な男性器を誇りにしている。

マラコヴィア人たちは、自分たちの男性器の大きさや形の良さ、太さや硬さなどを自慢にし、 また、その大きさと美しさによって異性の関心を集めている。

マラコヴィア人たちの性生活は非常に開放的で、また自由奔放である。

マラコヴィア人は同性の相手であっても性的関係を持つことに躊躇がない。

マラコヴィア人の性行為は、他の人種に比べ、より肉体的・精神的に近い相手とのセックスを望む傾向がある。

例えば、マラコヴィア人同士の性行為では、近親相姦はごく自然な行為である。

また、マラコヴィア人は互いの舌と舌とを絡め合わせるキスを性行為の一環とみなす。

マラコヴィア人は性行為において、互いに抱き合ったままの姿勢で行うことが多い。

これはマラコヴィア人の性行為が、相手への愛撫や愛情表現、さらには自己陶酔といった要素が色濃いものであるためだ。

その一方で彼らは激しい性行為も好む。

特に肛門姦の際には抱き合ったままの姿勢では挿入が難しいため、後背位で行うのが一般的のようだ。

さらに、マラコヴィア人は性行為の際に相手を縛ることが多く、縄を使うこともある。

縛るだけではなく木の枝などに吊り下げることも行われるが、これは個人間での懲罰的意味合いも強いようだ。

マラコヴィア人同士は、お互いの性器の形状の違い、特に一方のペニスが巨大すぎるために性交が困難になる場合もあるが、 その場合は代わりにペニスの尿道を用いて性交を行うこともある。

通常であれば、尿道への異物挿入には激痛を伴うはずだが、マラコヴィア人、特に80cm~1m以上の相応に巨大なペニスを持つ者は、ペニスの尿道がいわば膣化しており、その部位での性交に際し双方に多大な快感を与えることも可能なのである。

マラコヴィア人は、性行為の際、自らの性器を相手に見せつけることを好む。

性行為の際、彼らはまず自ら男性器を見せつけることから始める。

マラコヴィア人の男性器は、人種を問わず、あらゆる人種の女性にとって魅力的な存在である。

マラコヴィア人のふたなりは、体格に見合うだけの長大な男性器を有しているが、それは男性器が女性器を兼ねているためである。

マラコヴィア人の女性器の構造は深く、長大な男性器を納めるのに適応している。

マラコヴィア人は、自分の男性器の形の良さ、長さ、太さを自慢とし、 また、その大きさによって異性の関心を集めている。

マラコヴィア人のペニスは極めて大きい。特に巨大なものを除いたとしても、平均して30センチ前後はある。

また、成人儀礼としてマラコヴィア式割礼とも言える包皮剥き下ろしの儀式を施されるため、マラコヴィア人の多くは常に亀頭を完全に露出させるような勃起のしかたをする。

マラコヴィア人の亀頭は、いわゆるカリ首が発達し、キノコの傘のように大きく開いた形状をしている。

排泄量の多さのためか、他人種の一般的な男性のペニスに較べて尿道の直径も大きい。

マラコヴィア人は、相手の男性器を褒め称えることで性行為を始める。

例えば、自分と同じような巨根の持ち主に対して「あなたのような立派なモノを持っている人は、マラコヴィアの中でもそうはいない」と言う。

逆に、自分の小さなペニスに対してコンプレックスを抱いている相手には、

「あなたの小さいのはとても可愛いらしい。小さくても、ちゃんとした機能を果たすんだから気にすることは無いよ」

などと言って慰めたり励ましたりする。


【3】

マラコヴィア人は、自分の肛門を他者に見せつけながら行う性行為を非常に好む。

また、肛門を舐めさせたり、肛門を指で弄らせたりするのも好み、 肛門を見られることに興奮を覚える。

マラコヴィア人は、自分の肛門に異物を入れることに強い抵抗を覚えない。

肛門に陰茎を入れられることに対しても抵抗はない。

肛門に何かを入れられようが何の問題もないという意識が強い。

しかし、肛門にペニスが入ることを不快だと感じることも無いわけでなく、そういった感覚を持ったときには素直にそれを口にする者もいる。

とはいえ、マラコヴィア人にとっては大便を出す器官こそが最高の性器でもある。

彼らの男性性器を肛門に突っ込んで、それを大便と同じ排泄行為とみなして喜ぶことができるようにならなくては、「本当の意味で男になったとは言えないね」とはとあるマラコヴィア人が口にした言葉であるが、マラコヴィア人たちは本気でそんなことを言うのだ。

彼らによれば、そもそも人間というものはすべてが糞袋のようなものであって、糞を出すための穴があってこそ、人間の完成形であり至上の悦楽であるという。また、尻の中は腸液などで滑りやすくなっているのだから入れ易いし気持ち良いはずだと言い、実際に入れる方にも入る側にとってもそれが当然であるという考えを持つ。

なお余談ではあるがマラコヴィア人の肛門は肥厚化し拡張されており(俗に「ガチョウ口」等と呼ばれてる)、やはり他の人種よりも太く長いものが出し挿れしやすい構造になっているがために性行為において受け身にまわっても充分に楽しむことが出来るようだ。

肛門性交の際は、挿入されている方が自らの腰を使って抽送を行い射精に導くのが一般的であるが、 挿入されていない方の肛門を性感帯としている者は自らの男性器を挿入していないほうの手をそっちの肛門へ持っていって自慰を行うことがある。

このやり方の場合の問題点は挿入が上手くいかなかったときに自分の快感がおろそかになることと挿入される相手が退屈がるという点であるが、その点さえ解消できれば大変満足出来る性技といえるであろう……との事だが、実際には相手も自分がされながらも自分もしたいと希望する事が多く中々その方法を採る事が出来てないと嘆く者が多いそうである。

マラコヴィア人のふたなりは、自身の女性的な部分である乳房や陰核などを性的嗜好として重視するがゆえにそれらに対するフェチ的欲求が非常に強い。

また女性に対しては男性より遥かに強く母性や慈愛を求めており、ペニスへの奉仕を望む傾向がある。

反面、男性に関しては征服すべき対象と考える向きが強く、肉体的、精神的両面で屈服させることに性的な喜びを感じている面がある。そのため、男性器が小さいことや未発達であることを強く嫌悪する傾向にあり、場合によっては虐待とも思えるほどに強く責める傾向にある。このため、男性側はふたなりの男性器がいかに大きいかを誉めあげることにより相手を安心させつつ性行為を主導するのが重要となる。

一方で女性の場合はその逆で相手の女性器の具合が良いことをほめて相手の心をつかんでいくことが望ましいとされている。

ふたなりにとっての男性器というのは一種の宝石の類と考えられ、そこに存在するものについて、あるべき理想の状態を求めて多くの時間と手間をかけて改造を試みる傾向が強いようである。

これは男女ふたなりともに同様のようで、男性器であればカリ首を増大させたり包皮を育成したりとさまざまな工夫をしてみたくなるものであるというし、また、女性器についてはクリトリスを大きくするなど見た目をよくしようとするものが多い。

ただでさえ大きなものを更に大きくしようとすれば当然ながら痛みを伴ったはずであり大変な苦労を強いられたと思われるのだが、しかし、それでもなお彼らは大小にこだわりたがるものなのだ。

ペニスについてもペニスそのものの形状・大きさ以外にも亀頭の太さ、包皮の有無、勃起した際の長さなどを重視する傾向にあるが、ペニスに対して求めるものはそれだけに留まらず、太さや竿部の形状、角度も重要視しており、「理想的な形に仕上げた後にあえて使い込む事でその形の味を引き出すことが楽しみ」だと常日頃から言っている者もいるらしい。

なお「巨根、爆根と超根は何が違うのか」という問いを受けた場合であるが、マラコヴィアでは「自分の手で握り締められるかどうか」を基準にしているため厳密には区別しておらず、自分の手の中で自在に扱えてしまえばどちらにせよ問題なく「良いペニス」と言えるようだ。もちろん、大きすぎると握ることが難しくなるために自慰の選択肢が減ることと、相手に挿入することが物理的に難しくなっていくこと、あまりにも巨大すぎると日常生活に影響があるということなどはデメリットとも言えるのだが、反面肥大したカリや拡張された尿道、長大な包皮、巨大な陰嚢を効果的に使って爆根や超根でなければできない性行為を行うこともできるようになるため、基本的には大きければ大きいほど歓迎される傾向にある。

そしてさらに付け加えれば、 マラコヴィア人は男性であろうと女性であろうととにかく大便を愛する傾向があり、排便時に尻を見せることは当たり前であるし、また肛門を見られることに羞恥を覚えることもない。排泄物は栄養分を豊富に含んでいる上消化吸収率が高く、腸内環境を整える働きがあるため日常的に食べる文化もあるほどで、それに加えて彼らがこよなき情熱を抱く理由はもっと原始的であり単純かつ明白なもの。それは『美味だから』『快楽をもたらすものだからこそ』排泄物に愛情を注いでいるのだということを忘れてはならないだろう。

つまり、 大便を排泄している間はどんな状況であれ幸せを感じることができ、さらにはそれを食すことでさらなる幸せを得ることができるのだという。


【4 モコの脱糞祭】

 10名の全裸のふたなりや男女たちが輪となって、互いの肉棒や肛門に顔を近づけて匂いを嗅ぎあい舌を突き出して刺激しながら激しくしゃぶり合う……。マラコヴィアの家族特有の儀式的性行為、クンニリング=cunni-ringが今日もまた始まった。ここはマラコヴィア諸島で二番目に大きな有人島、ジラ島の内陸部の密林内にある中規模の集落である。ここでは10組の夫婦を中心に15名程の若者で構成される家族が形成されており、それぞれが狩猟採集生活を営みつつ共同体としての暮らしを営んでいた。

 

 ここマラコヴィアではふたなりは特別な存在ではない。このマラコヴィア社会においては女系相続によって生まれた娘が、男性と結婚し子孫を増やすというのが最も一般的な形での存続のかたちとなっているのだが、ふたなりはそういった相続の形に縛られないある種の自由人としての立場を許されており、未婚であるのならば集落を自由に行き来する権利が認められている。しかしそのためには成人儀礼として集落外での独立生活をあるまとまった期間続けなければならず、その結果集団生活に適応できなくなる者や、儀式的単独生活を完遂できずに集落に転がり込む半端者も居た。クンニリングの輪に入れず、集落の隅でその様を恨めしそうに見つめている、やや猫背気味のふたなり少女モコもそういった一人だった。彼女は数えで15歳になるが、数週間前に二度の成人儀礼を失敗して出戻ったばかりということもあり、集落内には恋人どころか性交渉に応じてくれる相手もおらず、150cmを超える超根を持て余しながら鬱屈した毎日を過ごしていた。超根をしごいて一人見せる相手もなくオナニーにふけっているところを同年代のふたなりたちに見られ、嘲笑されたことも少なくない。度を超えた超根と成人儀礼の失敗のせいで婚姻の選択肢が無くなって以来男ともヤれずにいる。そもそも常にフル勃起して見せつけているにも関わらず誰も彼女をセックスに誘ってくれないことに、彼女の自尊心はひどく傷つけられていた。


 しかし今日の彼女は違った。成人儀礼を済ませていなくても他人に認められる方法はある。それは誰もが唸るほどの見事な脱糞をして見せることだ。実力をもって認めさせることができるのであれば多少の欠点には目をつぶってもらえるだろう。彼女はそう考え、驚異的な努力でもって早朝から排泄を我慢しつづけていたのだ(これは脱糞を何より愛するマラコヴィア人にとっては狂気を疑われるほどの驚愕の忍耐である)。モコの目の前で行われる儀式、クンニリングの儀式はこの村の祭り事の開始を告げる重要な行事であり、男衆はその参加のためなら朝一番の糞を賭けても良いと考えるほどだ。花や鳥の羽で鮮やかに着飾った男たちの愛撫を受けるマラコヴィア人たちは皆一様に快楽に身を震わせ、時には絶頂を迎えることもある。その様子を目のあたりにして嫉妬と劣等感を感じずにはいられなかったが、今の彼女には自信がある。脱糞の実力さえあれば例え他の能力が皆無であろうとマラコヴィアの一員であることが認められるはずだ。


 脱糞祭が始まる。広場に作られた特設ステージに上がると参加者一同の視線が注がれたが、それは決して侮蔑の目ではなく賞賛と期待の色をしていた。これから起こることを想像しているに違いない……。そう考えるだけで胸を高鳴らせることができるくらいにモコの心の中はまだ希望を失っていなかった。全裸になり、腰には蔦を編んだ袋を縛り付け、もっとも高い脱糞柱へとモコは登り始めた。

集落一を誇るその超根とその下にぶら下がる巨大な陰嚢を下からのアングルで見られるのは何度目になるだろうか?モコはいつも以上に誇らしげな顔つきになった。集落で最も大きな睾丸に村人全員が羨望のまなざしを向けていることを知っていたからだ。今更自分の股間を隠したりする必要はなかった。ただ堂々として、そして自慢するだけ……。それが自分が集落の一員として受け入れられる道だった。


 4メートル近い高さの柱をよじ登れば当然足元が見えないわけだから、足を踏み外すリスクはあるが、下が土だと思えば落ちることは恐ろしくない。まして今日が人生で一番最高の日になることを考えるとその恐怖は些細なものだった。モコは全身の力を込めて太い丸太の上に身体を持ち上げ、ついにその両足が完全に2本の柱を踏みしめたときには、彼女の超根の先端はまだ柱の下へと垂れ下がっていた。その根元を両手の指で作ったわっかの中に閉じ込めるように強く握るとそのあまりの質量に耐えられず骨盤の方が歪みそうになるのがわかったが、それを堪えつつ膝のバネを利用して上体を起こすようにして勢い良く立ち上がる。超根がみるみるそそり立ち、モコの頭を超えて垂直にそびえると、そのカリが傘のように大きく開き、地面に矢印のような影を落とした。同時にモコのお腹の奥がきゅんと疼き出す。脱糞寸前の前兆現象であった。うかつにひり出させないように括約筋に力を込めるが、すでに腸内には半日以上も貯め続けた大量の糞が詰まっている状態。この段階で脱糞を始めてしまうともはや自分の意思で止めることは難しい。糞を途切れさせずに4m下の地面に見事なとぐろを巻かせるためには、とてつもない忍耐力と括約筋と腹筋の精妙なコントロールが必要だった。モコはそれを一瞬でこなすべく深呼吸すると自らの意志によって腸内の便をすべて排出すべくガニ股になって気張った。それと同時に手は脱糞柱の前方の空へと突き出し、ちょうどいい高さに張られた蔦を両手で掴む。自然と尻の穴が開くような体勢となる。

「うんっ……!でる……もう我慢できにゃいぃ!!」

ぶりぶりみちちっ!!

猛烈な音が広場に響き渡るとともに凄まじい太さの大便が、まるでアナコンダのようにうねりながら肉厚の肛門を震わせひり出されてきた。

それはとどまるところを知らず、モコの小さな体のどこに入っていたんだと思える程の長く長い蛇糞が脱糞柱の天辺からでろりと垂れ下がる。それは太さだけならば新記録だったが長さは未だ4メートルの柱の半ばにも達していなかった。男の腕を二本は余裕で飲み込みそうな極大の肛門から繋がるぶらぶらと揺れる巨大な一本糞を固唾を呑んで見上げる村人たち。しかしモコの脱糞はまだまだ終わらなかった。肛唇が突き出されるように蠢き、直腸の奥からさらに太い大便を送り出し始めるではないか! そういえば今日のモコの腹はかなり大きく膨れていたことをマラコヴィア人たちは思い出した。まさかまだまだひり出すのか!? じわりと村人たちの熱が広場を炙り始めていた。モコが大きく息むたびに大蛇の如き糞は少しずつその長さを伸ばして行き、それからたっぷり3分程が経過してやっと大便の先端が地面スレスレまで辿り着く。全長は4メートルに達しており村人たちの予想をはるかに超えていた。

それを見たマラコヴィア人は驚きつつも歓声を上げると同時に我先にとその先端に群がり、中には舌を出して舐める者もいれば、自身の陰茎を握りしめ激しく擦っている者もいた。彼らの目にはもはや排泄物は性欲を高める為だけのものにしか映っていないようだ。ようやく脱糞が終わったかと思った矢先に、再びモコが激しく腹に力を入れた次の瞬間――

ブリリッブリュリュッミチミッモリリィィィーー!!!! !!! 信じられないことが起こった。なんと肛門が開き切って閉じなくなるほど大量に溜め込んでいたというのに更に大量の糞を放出し始めたのだ。これには流石に村人たちの表情からも笑顔が消え失せ驚愕する。それでもまだ勢いは止まらない。

やがて一抱えも二抱えもありそうだと思われていた塊はその全長を2倍に伸ばしたところで止まり、尻穴からの排便が止んだ。マラコヴィア人達はこの光景をただ呆然と見ていたのだが……。突如彼らは何かに気付いたように目を見張り互いに顔を見合わせると共に、興奮を抑えられない様子で叫び出した。それはまるで長年探し続けていたものが遂に見つかり、喜びに打ち震えているような有様だった。彼らにとってその巨大な糞こそが待ち望んでいたものなのだ。そしてそれは今、目の前にある……!!!その思いに呼応して村人たちの怒張していた陰茎は完全に勃起し、触れもせずに次々と射精を迎えたのであった。


【5 オグノのマラコパ】

マラコパ族の男、アジャの一人息娘(ふたなりの娘の意である)オグノは毎日父親の元でマラコシ(雄比べ)の練習を続けていた。マラコシは力強さの象徴であり、また男らしさの誇示にもなるものであるために、それによって作られるマラコパ(雄々しい男根の意)はマラコシ闘士にとってはなくてはならないものだと言われている。オグノのマラッコ(男性的な筋肉)には強靭さと繊細さが宿っており、「ムキムキ」というよりもむしろ「細マッチョ」という言葉が良く合う肉体であった。マラコパを鍛えるために日頃から鍛錬を怠らなかった結果でもあったが。彼女は今日もその自慢の一物を扱かれようと待ち構えていた。ところがこの日、いつものように父親が手を添えてくれようとしたところを振り払ってしまった。彼は驚いていたようであったがその理由を訊ねたりはしなかった。それが親心というものだったからだ。しかし、彼が手を離しても彼女の剛直したモノはまだ直立不動を保ったままだ。そしてそのオグノはというと、父に対する自分の思わぬ行いに困惑していた。いつもは父の手扱きによって一発射精をしてから本格的な鍛錬に入る。それは儀式的なものではあったが、毎朝のルーティンとしてオグノの男根に刻み込まれていたものでもあったのだ。困惑する両者の間に沈黙が漂った。その間オグノの男根は放置されたままだったが、いつの間にかそれは脈動を始めて小刻みな痙攣を起こし、その垂れ下がる包皮の先端から透明な糸引く露を垂らし始めた。父親はそれをじっと眺めると軽く笑みを浮かべつつ立ち上がり、その場から立ち去っていった。

突然、下半身に強い刺激を感じたのは次の瞬間だった。見れば彼女の右手が何やら白い粘液でべったりとしていたのだ。不思議がって掌を開くとそこにはどろっとしたものがあり、指の間からこぼれ落ちるものがあった。そうして見るとそのねばつきの正体はなんとなくわかった。先程自分のマラコウカ(マラコウカ:ペニスの愛称の一種)を扱こうとしてくれていた父が放出したものだろうと思ったからである。「これはオロモウだ」オグノはそう思った。


マラコヴィアの複雑な霊的概念の一つである「オロモウ」は、「その場に居ない者の精液を身体に浴びる」ことを指す。それが意味するのは、互いに向けられる強い意識(それは怒りであったり感謝であったり思慕であったりと様々だ)が行き所を失った時、霊的な精液に形を変えて突如自分に浴びせられるということである。


このオロモウは自分が父の手を拒んだことに関係しているのではないか…そんな思いを抱き、そして同時にオグノは罪悪感を感じてしまった。そして気付いた時には父は小屋へ引き上げてしまっていたため確かめることはできなかったが、もしあれが自分に向けられた怒りなら……と思い込むようになっていた。そしてあの日から2ヶ月近く経ったある日、オグノはある決心をするのであった……。


その日、村でふたなりの少女達だけが集められて特別なヨモ(この地方のマラコヴィアン・ダンスの一種)が行われた。彼女たちの腰を覆う草木の茎と葉などでこしらえられた下着である「キワド」(またはケデ)と呼ばれるものを割り開いて尻を出し、輪を描いてゆっくり踊りながら脱糞してゆく。それはマラコシの場となる神聖な土俵を描くものだった。そして今その中央で行われているのは全裸の闘士同士の脱糞の見せあいである。マラコシの戦士同士の戦いではよく見られたものであったが、これはもともと尻穴の中に武器を隠し持っていないことを示し無用な争いを避けるためのものだった。このマラコシにおいてはマラコパの大小はさほど重視されなかった。それよりも大切なものがそこにあるのであるからだ。しかし土俵の中央で尻を向けあって脱糞している二人の闘士のマラコパは互いに雄大であり、双方1mを超える逸物であった。それもそのはずそこで対峙しているのは血の繋がった父子、アジャとその息娘オグノであったからだ。


マラコシは優れた筋肉と男根を持つ男(ふたなり)達が闘士に選ばれ、男根と男根を突き合わせて戦いを行い、勝利すれば名誉が得られるというマラコヴィアの一般的な格闘技である。二人は共にマラコシにおいて優れた体格を持つ闘士だったが、それに加えて、二人とも同じマラパウ(ペニスの呼称の一つ。マラコシにおいてはマラパウと呼ぶ。武器としての男根の意)を持つ父子でもあった。どちらも巨大でありながら非常に豊かな包皮を備えた男根だったのである。実際には息娘であるオグノの方が、父に比べてやや小ぶりではあったが、しかしそんなことを気にする観客はいなかったであろう。マラコシは真剣勝負の場ではあるが見世物でもあるからだ。その闘い自体が見る者に興奮と刺激を与えるものならば特に。観衆はその小山のごとくひり出された巨大な糞に刺激されたかのごとく次々と射精していったのだから、まさに両者による淫らな共同脱糞と言えよう。二人が放ち出す濃厚さすら感じる生臭さに辺りには濃密かつ甘ったるいような芳香が立ち込めるほどだった。オグノは試合前排泄をしながら、ここに至った経緯を思い返していた。


そもそものことの発端となったオロモウ事件が起こった日の翌日以降からだったろうか……父が自分の身体に触れることを避けるようになった。それまでは鍛錬の中で当然のこととして互いの裸体が触れあっていたはずの父がいきなり距離をおくようになった……そのため、やはりオロモウは父を怒らせたことへの自分への罰だったのだと感じてしまった。それからというものの毎日父のことを思いながら、自分の手のみでマラコシ闘士に伝わる「マテマ・シ・ヌガトの儀」……すなわち粘り強い男根の耐久力を培うために射精の直前で寸止めすることを三時間以上繰り返す鍛錬(当然のことながら、極めて精力旺盛なマラコヴィア人にとって、単に射精をしないだけならまだしも自慰をしながら射精を三時間以上も耐え続けるのは拷問にも等しい)を行っていたのであったが、ある日を境にその行為に変化が起きたのである。今までは何回か連続で寸止を行うたびに休憩時間をとっていたのだが、父はその間自分に何も話しかけてこなくなり……ただ見守るだけの状態となった。それでも必死に耐える自分。やがて一回目の限界がやってくる頃合になってきたところでついにその時が訪れたのだった。

(ああ……だめ……もう……出てしまうっ!! んぉっ!!)

びゅぼっ!びゅぶぶーーーーーーっ!!!

鈴口を震わせる激しい射精音とともに周囲の木々の濃緑の葉々にどろどろの白濁を撒き散らす。その勢いときたらまるで間欠泉のように吹き上がってゆく。一度出たが最後止められないほどの激しい快楽。あまりの開放と心地よさと疲労感によってその場にへたり込むようにして横になってしまうと、ようやく呼吸を整え始めたところに、父がそばまで歩み寄ってきた気配を感じた。思わず身構えると、次の瞬間頭に優しく何かを乗せられた感覚があった……。驚きつつも目を開ける。するとそこには自分が噴出した白濁を浴びた父の顔がすぐ上から自分を見下ろしていたのであった。


父アジャは美しい男だった。現役の闘士時代は屈強だったその身体は今ではいくらか筋肉が落ち、そのぶん程よく脂肪が上乗せされていて、いかにも「マランボ」な身体をしていた──ここで言う「マランボ」とは「男好きのする」といった言葉であるが、ここマラコヴィアの社会においてはそれは当然ながら男からではだけではなくふたなりからも肉欲を向けられることを意味する。すなわちより正確なニュアンスを重視するのであれば「自分は意識せずとも男根が勝手に反応してしまう、気づけば後ろから激しく尻を犯してしまってような」というものになる──その父が自分を慈しむような目で見下ろしながら射精に火照る額に大きな陰嚢を乗せ、そのひんやりとした温度で冷ましてくれていたのだ。

「見事な射精だ息娘(むすこ)よ。お前にはもう私の導きはいらないだろう」

その瞬間、オグノにはすべてが理解できた。自分がなぜ父の手を払ったのか。なぜ父が自分に触れなくなったのか。そしてなぜ今になって陰嚢というマラコヴィア人においても最もプライベートな部位で触れてきたのか。これはオグノが一人前の闘士として認められたということであり、それと同時に父子の別れの時が来たというでもあるのだということを。そしてオグノの中にもまた、守られ導かれるだけではない大人としての矜持が芽生え始めていたということを。だがオグノには親離れを認める気はなかった。いや、はっきりと言おう。幼くも怒張する一匹の男根として、この淫らな肉体のオスを手放すことは絶対に許しがたいことだとついに自覚できたのである。

(親父を俺のモノにしたい……親父を、このオスを俺のメスにしてやるんだ!!)

「だったら親父……あなたとのマラコシを。成人した俺の望みはあなたとのヌェ・マラコシだ!」

オグノは、父の美しい顔を見上げながら毅然と真剣勝負を申し入れていた。己の身体の所有権を賭けた、部族間の大きな諍いの時でもなければ行われることのまずない「ヌェ・マラコシ」を。


父アジャもまた、息娘がここまで成長していたことを喜ぶと同時に、あの日以来、息娘が自分を見るその目に一匹のオスの暗く滾る肉欲を感じてしまい、肛門を湿らせている自分もいることを恥じてもいた。そして何よりも、まだわずか数えで13歳であるにもかかわらず、実の父を強引に己の肉便器へとをしてしまいかねないオグノに怒りよりも一抹の恐怖を覚えてもいたのだ。というのも、闘士を引退してから十数年、筋骨隆々の引き締まっていた己の身体が年相応にだらしなくなっていくにつれ、村の男やふたなりからの肉欲むき出しの視線を浴び続け、いつしかそれに影響されるようにアジャの身体はよりマランボに、そしてその心までマランボなものへと変化しつつあったからだ。オロモウの起きたあの日、息娘のそそりたつ男根に自らの中のメスを感じてしまったがために、それを扱こうとする手に情欲が混じってしまったこと、そしてそれを敏感に感じ取ったからこそオグノが無意識的に父の手を弾いてしまったことをアジャは即座に理解した。だからこそ自ら身を離し息娘の自立を促したつもりだった。しかしまさかそれがかえってオグノの妄欲に火をつけ、この2ヶ月の間に父子の絆まで燃やしつくさんばかりに大きく熾ることになろうとは、考えも及ばなかったのである。


暴力と苦痛をともなくもの以外、およそあらゆる性的禁忌の存在しないマラコヴィアであるが、それでも近親相姦の扱いは難しい。家族間の性交渉は当然に存在はしているが、それはある種の教育やしつけをともなうものであったり絆を強めるための親愛的行為であることが多い。恋愛感情を伴うような近親相姦は禁忌とは言わないまでも「表向きにはせざるもの」とされる村が多数派であるといえる。ましてやオグノのような強烈な独占欲をともなった激情的なものとなると、村によってはなんらかの罰を与えられたとしても致し方なきものではあった。


だがそれでもアジャは息娘の思いにこたえるべく決意をした。息子にまさかの「ヌェ・マラコシ」を挑まれたその時から、自分のすべてをかけてこの可愛い我が子に、自らの肉体をもってその力と技のすべてを刻み込み、その邪な夢から醒まさねばならないと……。その時からアジャの目には息娘オグノへの愛情とともに闘志の色が宿り、なんとしてもこの「ヌェ・マラコシ」に勝たねばならぬと、現役さながらのなみなみならぬ闘志を蘇らせていた。


そしてアジャとオグノとの真剣勝負の幕は切られる。……オゴゥ、マラコシヤ……ッ!!村人たちの歓声とともに 2人の父子は激しくぶつかっていく。その肉体と男根の躍動を見て観衆は興奮の度合いを高めていった。マラコシとはいわば格技化された兜合わせ。大きく腰を引いて組み合った二人は、手や足、口のみならずその1mを超すペニスの亀頭、包皮、肉幹、その他あらゆる場所を用いて、相手の男根を叩き、突き、捏ね回して、先に射精へと導かんとする。特に互いの亀頭が擦れる時は両者痛みさえ覚えるものでもあったが、それゆえに耐えて堪えて我慢強く相手を屈伏させる、まさに誇りを賭けた壮絶な格闘であったのだ。……ぬぉ、おぅ!おお、っふほぁ!?ああああっつつつ……!!! 二人の声が響くたびに見物人たちの己の男根を扱く手の速度も上がっていった。


マラコシ開始当初は余裕のあった2人も次第に汗だくになってゆき、喘ぎまくってゆく様が周囲の人々の熱狂度を増してゆくのだが、二人ともに並大抵でない精神力を持っていたため両者とも一向に陥落の兆しを見せることはない。むしろ逆に激しい責めにあっているはずのオグノがだんだんと表情を引き締めはじめているように見えた。アジャの方はオグノの激しい攻撃の前に早くもその顔からは苦悶が浮かび上がり、全身くまなく愛撫されるような刺激を受けているようであり、一方のアジャの攻撃を受けていたオグノのその股間に、見るうちにどんどん勃起した剛直が形成されていき始めた。

アジャの身体のあちこちにはオグノから分泌された愛液が大量にこすり付けられ、オグノはその匂いにさらに興奮を強めていく。

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Comments

箱子BOX@不定期更新

非常棒~~~! 我等不及地想要看到排泄比赛的冠军的大便了~ww すごい~~~ ! 排泄競技の優勝者のウンコが待ち遠しい~ww

radiohead

ありがとうございます! なかなか思うように内容を誘導できないのが難しいです。

tokyonezumi

あぁ・・・素晴らしいおちんちんと肛門、そして極太糞の楽園...💕 上手い具合に思想や文化と変態行為が融合してますね。肛門推しなのがすっごい嬉しいです! 人力の部分もあるとはいえ最近のAIは本当に凄いですねぇ...

radiohead

ありがとうございます! いやーAI先生の文章力はなかなかのものがありますね。ただ構成とアイデアがアレなので、編集の当方としては頻繁に方向性を修正しながら進めております。たまにこっちがビックリするような新設定とかも出してきますが…

tokyonezumi

濃厚で芳醇なマラコヴィアの文化的営み...凄くエッチです! モコやオグノ家族の土人文化的痴態も素敵ですが、他のモブ村民たちのリアクションもすっごく刺さりました。 モコの極太大量脱糞を見た他の村民が歓喜のあまり、ちんぽノータッチで次々に無様に射精していく様や、マラコシの観客がせんずりコキながら観戦等、ちんぽの変態的な信仰と熱気、そして滑稽さに溢れた世界観最高です! マラコシみたいな兜合わせ雄チンポバトルって素敵ですよね。触れ合うチンポから伝わる相手の雄力、文字通り雌雄を賭けた戦い...絶対に負けられないチンポ同士のぶつかり合いだからこそ、敗北の負け射精の快感は一生忘れられないものになりそう!